大阪・生と死を考える会 分科会:大阪・ひまわりの会
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講演抄録や、これまでに発行した記念誌、会報より読み物を抜粋して掲載しております。
「癒やされる人とのかかわり」沼野尚美さん:六甲病院緩和ケア病棟チャプレン(当時)
定例会より
1998年9月26日
 今日は私たちが生きること、そして死ぬこと、人と関わることについてお話したいと思います。私のチャプレンという職業はホスピスにおいて宗教的な心のケアをすることです。ホスピスというところは余命6ヶ月以内の癌とエイズの方が入られます。チャプレンは日本ではキリスト教系の病院にいて、今では50人もいません。

 私はチャプレンになる前は老人病院で薬剤師をしておりました。これが私の人生を大きく変えました。ある日、患者さんのところへ出向いて薬の話をしていたときのことです。その日はお祭りで、外からおみこしを担ぐ音が聞こえてきたのです。すると患者さんがみなベッドの上にきちんと正座して、まさに病院の前を通り過ぎるというときに、同じ向きに向いて、手をあわせて頭を下げたのです。それで「どうしたのですか」と尋ねますと、年がいったら楽しみがないとおっしゃるのですね。「はよ死んで土にならんと迷惑になるだけや、お迎えが来てくれるように拝んでいた。」と言った表情がなんとも言えず寂しげだったんですね。私はそれに、とてもショックを受けました。

それまで、患者さんが1日でも早く元気になれるようにという使命感を持って仕事をしていましたから、生きている喜びがないという言葉を聞いて、いくら長く生きる援助をしても、生かされる喜びがなければ、人は幸せではないのだと痛切に思ったのです。それで、私は、生かされている喜びを与える援助をしたいと思ったのです。これが私がチャプレンになるきっかけでした。

 私が初めてチャプレンとして仕事に就いたのが淀川キリスト教病院のホスピス病棟でした。一年目に入ってこられた一人の女性が、実は(私が生まれたとき)私を取り上げてくれた助産婦さんだということがわかったのです。それで急速に親しくなりまして、その方がお亡くなりになる3週間前に「私はね、あなたが生まれてくるときにあなたを助けた。今度は私が死ぬのを助けてください。」とおっしゃったのです。私はどういう風に具体的に援助するかを考えました。それで、この人は死ぬという言葉を使ったが、死ぬということはその人らしく生ききることではないかと思いました。そこで具体的に何をしたかといいますと、その方のやるべきこと、成し遂げたいと思っていることをお手伝いしたのです。

 その人らしく生ききることを援助するには、2つあるんですね。一つはその方が生きているときから持っている使命感です。こんなことがありました。小学校の先生が後2年で退職というときに入院していらっしゃいました。6年生を受け持ってから末期の肺癌とわかり、療養生活が始まりました。その方は自分の受け持ちの子供の卒業式まで生きられないのではないかと感じ始めました。それでもう一度教壇に立ちたいと思ったのです。私たち医療者は、末期の肺癌で咳が止まらないので、子供の前に立てるとは思えませんでした。家族はいっせいに反対しましたが、結局学校に連れて行く援助をすることにしました。教室は二階だったんですが、そこへ上がって、体が覚えているんですね、58まで続けた教師生活の全てを込めて話しをしましたが、咳は出ませんでした。そして「これで私の人生の締めくくりができました。」とおっしゃって、その後本当に転がるようにお亡くなりになりました。反対した家族も後悔はしなかったのですね。

 それからもう一つは、病気になってから使命感ができる場合ですね。28歳の若いお母さんが入院されました。5歳と3歳のお子さんがおられました。「私はどんな姿になっても生き抜いてみせる。」とおっしゃっていました。私も生き抜いてほしいと思いました。けれども二人が小学校に入る姿は見れないだろうと思い始めたのですね。私にレターセットを買ってきてほしいと頼まれました。私はよくこういう頼まれごとをするんですね。カセットテープを買ってきてほしいとか、50円切手を100枚買ってきてほしいとか。でも何に使うかは聞きません。静かに実行します。患者さんの歴史は夜つくられるといいますが、みなさん夜カセットテープに吹き込みます。看護婦さんは夜電気がついていても見ないふりをします。

 このお母さんは一人の子供にあてて5通づつ手紙を書きました。子供さんが成長していく姿を想像しながら「しょうがっこう1ねんせいの、にゅうがくしきをむかえた○○くんへ、おかあさんは、きょう、あなたのすがたを、みています…。」ってひらがなばっかりで書いてあるんです。そのお母さんは小学校、中学校になる先のことを考えたんですね。そしてお亡くなりになるぎりぎり前に、だんなさんに、その時々に子供に渡してくれるようにお願いしたのです。この方は病気にならなければ、こんなことをすることもありませんでした。病気になってから使命感ができたんですね。
 皆さんが、もし誰かにお使いを頼まれたら、意味あるものととらえて理由を聞かずに早くかなえてください。入院していらっしゃる方は時間がありません。早くかなえてあげてください。

その人がその人らしく生きるのを援助するもうひとつは旅立つ準備の援助をすることです。ほとんど宗教観がないといわれる日本人ですが、宗教は?とたずねるとみなさん必ず何らかお答えになります。宗教観は、宗教的な情緒、宗教的なものの見方ですね、それは日本人は一番尊ぶといわれてもいるんです。たとえば、ホスピスに入院された人がたくさん本を山積みにされているんですね。よく見ましたら、あの世から帰ってきた人の手記ですとか、有名な仏教の人や、キリスト教の有名な牧師や神父の本なんです。その人は、これから旅立って行く時に想像もつかないところへ行くのはこわいとおっしゃるんですね。イメージがわかないからこわいんです。ある時、50代の男性が「沼野さんにとってあの世とはどういうところですか。」と聞きました。私はキリスト教的な宗教観で、「私にとってあの世とは光り輝くところで、その光は懐かしい暖かいもので、私は死んだら光の方向へ向かって歩こうと思っているんです。」とお答えしました。するとこの方論理的な方で、証拠を見せてほしいといわれるんですね。それで、聖書でそれが書いてあるところを持っていきました。するとそれをベッドの前において眺めておられたのですね。そのような会話をして2,3日後に危篤状態になられたのです。主治医の先生はこのまま見送ることになるでしょうと言われました。そうしたら2日ほどして目をさまされたんですね。私のところへ連絡がきまして、行ってみました。そうしたら「あなたのいう光が見えないので帰ってきた。」とおっしゃったんです。

やがてもうすぐ自分が死ぬかもしれないという時に自分を支えられるだろうかと思うんですね。自分の死生観が大事ではないでしょうか。そして医療者の燃え付き症候群なども、見送るばっかりでその人がいったいどうなっているのかわからないところから来ている。非常に苦しい仕事でもあるんですね。その方の旅立ちをどうイメージして共有できるのかが大事ではないのかなと思うんですね。

そして病院の職員や看護婦さんは希望を支えること。先生から癌の告知を受けた時には、癌の告知だけでなく、しかるにこういう治療をしてみましょうと色々な手段で希望をつないでくださった先生の病状説明が非常にうれしかったとおっしゃる患者さんがいました。どんな事情でも、希望を支えつづけなければいけない。最初患者さんはすぐ元気になることを思っている。そうしたら採血が必要ですと言われて、とにかく入院にならないようにと思う。すると今度は精密検査が必要ですと言われたら、せめて外科にまわされないようにって。少しずつ希望のレベルは変えながらも希望をつないでいくんですよ。では、ホスピスに入っていらっしゃる患者さんの希望はどうなるか。この前お話してましたら、今日1日痛みがなくて、今日1日皆とお話ができて、吐き気もなくて、しんどくなくて、生きれたらいいなって。希望のレベルが違いますでしょ。今日1日痛みがなかったらいいなって気持ちになるんですよ。では、後2時間後に亡くなる患者さん。今日亡くなる患者さんの希望、その方の家族の希望をどう支えますか。希望がネタぎれですとは言えません。医療者はそれでも最後まで希望を支えないといけない。だからといって大丈夫ですよとも言えない。言えないですね、あからさまな激励は。2時間後に亡くなる患者さんも希望が必要なんですよ。私は私の希望を提供しています。私が抱いている希望を、最後患者さんと御家族の方にお話します。それは何かといいますと、最後の瞬間のときに、さよならを言わないということです。別の観点から言いますと、また再会を約束することなんです。これが決して永遠の別れではない。また天国でお会いしましょうね、お目にかかれてうれしかったと挨拶します。

ホスピスではある意味でみなさん悟っておられる病棟なので、患者さんのほうからすべての言葉を過去形にして挨拶をされることがあります。そういう時は絶対打ち切らないでそういう時が来たんだなと思って「私もお会いできてうれしかったです。」と過去形でかえします。そう私自身が言えることが私の希望なのですね。そして、ある奥様ですけれども、奥様から挨拶が始まりました。私は今晩亡くなられるかなと思いましたので「私もお目にかかれてうれしかった。天国で待っててくださいね。」って申し上げました。たいていの患者さんは「わかりました。むこうでお待ちしております。」とおっしゃいます。でもこの患者さんは「天国のどこで?」って聞かれた。そこまで考えてなくて私も「天国のメインゲートで」と答えました。すると奥様がご主人様に向かって「天国のメインゲートですって。なんてロマンチックな」とおっしゃいました。看護婦さんが後入ってきまして、あとで看護婦さんの話では、ご主人様との話で「天国のメインゲートだけではね、梅田の紀伊国屋みたいにたくさんの人がいてみつけるのが大変だったら困る。あなたとは確実なところで会いたい。」とおっしゃって、その生きるか死ぬかの人がですよ、「天国のメインゲートを入った一番最初の白いベンチであなたをお待ちする。」とおふたりで話がまとまって穏やかにしておられますということでした。

 多く日本人はですね、まず先生のほうから呼び出しがあるんです。そして危篤状態ですというような話がされるわけです。すると、お部屋に戻られるとベッドを囲んでですね、大変な話を聞いてきたということで、何をしゃべったらいいかわからなくなるんですね。静かな状態が続いているんです。ほんとは何かしゃべりたいんですよ。その時に、日本人にユーモアが欠けるんだということなんですね。それは亡くなっていかれるときにユーモアを重ねながらも真実めいた話ができるわけです。この方も天国のメインゲートをめぐって大切な話ができたとおっしゃってました。白いベンチに話が到達するまでは「あなたと結婚できて良かった」ということもついてくるんですね。ただそれまで話をするきっかけがなかったというんですね。

そういう、その人がその人らしく生ききる援助、今日は生と死を考える会とか、ひまわりの会という名前のついている会で話していますが、元気な者どうしの人間関係をつくる場合でも同じではないでしょうか。二つ申し上げた、生かされる喜びを感じる援助、その人らしく生ききる援助というのが人間関係の基本になるような気がするんですね。
     
 次に、具体的な話をしたいと思いますが、私は病院で患者さんからお話を伺います。もちろん内容は、違う人生ですからすべて違う内容です。でもいつも聞いていると全ての患者さんに共通する内容が必ずあるんですね。それは何かといいますと、傷ついた人生の部分をもっていらっしゃるということです。しかも人間関係で傷ついた部分なんです。元気なときは忘れていますが、もう自分に未来がないというベッドに寝てみたとき、人の思いは過去にずーっとさかのぼるんですね。

 3週間前に亡くなった患者さんは独身の女性でしたが、はがきを買ってくるように頼まれました。ベッドに寝ていたら思い出したとおっしゃるのです。私は人を傷つけたと。商社で働いていたときにライバルがいたというんです。そして、地震があって、やがて発病して、岡山の病院に入院したんです。その時にライバルの方からはがきが届いたんですね。お体いかがですかという内容で、とても親切な内容なんですね。でも自分は入院しているのに、相手は元気でいるから優しさを受け止められなかったのですね。だから返事を出さなかった。それだけのことなのですが、未来がないベッドにいる時はこういうことが無性に気になるんです。ありがとうと言えなかったことを。いろんな後悔が思い出されるんですね。

 そういった経験を持つ人が2つのグループにわかれます。ひとつのグループは傷ついたままその思い出をぶら下げながら生きていらっしゃる。もうひとつのグループは別の人との出会いによって癒されて、過去の思い出としてすっきりと語れるようになる。私たちが心がけなければいけないのは、決して傷つける相手になってはいけないということです。そして、私たち自身が癒しの人になるということです。いろいろな方法があると思いますけれど、ある時、姫路の病院で、3回離婚暦のある方が入院してこられました。それで過去を語ろうとしなかった。私たちも無理に聞こうと思いませんでした。結局、最後亡くなるまでそのことは話されませんでした。ですけど何をしたかといいますとその方をとても大事にしました。そうしたらですね、ちょっと元気なときに車椅子に乗ってお話された時に「私ね、人って信じられないものだと思っていました。」とおっしゃったんですね。人生の最後の瞬間にこの人が癒されたんですね。癌という病気は時間があるわけです。傷を癒す最後のチャンスがある。私たちが癒しの器になる必要がある。そのために一番大事なことは、皆さんが病気になったときのことを考えてください。そして面会謝絶という状況で誰を面会に許しますか。どういう基準で決めますか。そういう時に一番大事なのは、何ができるかではなくてどんな風に存在できるかです。もっと具体的に言えば暖かい存在であること。患者さんは目が覚めたときに暖かい存在がいてくれることが一番心が休まるとおっしゃいます。

そして、言葉が大事ではなくて、表情、雰囲気がすでにメッセージを伝えています。ですから言葉20%、雰囲気80%と思ってください。日本人は悟りの民族ですから、顔で、表情で読み取るんです。その時に大切なのは微笑みですね。微笑みは人を安心させるんです。

それから、病んでいらっしゃる方の家族の方の批判を絶対しないでほしいということです。いろんな家族があるんです。私たちにはわからない。何十年もの時間が経ってできた家族で私たちには分からないんですね。そういう家族を批判することはとても傷つけます。仕事へ行くとか、家に帰るとか、どういった形にするかは家族の決断で、医療者が口を出すことではありません。時にはずーっと付き添いをしていらっしゃると疲れてくるんです。患者さんに優しくできなくなるんです。そういう時に、息抜きができることは大事なんですよ。それは世間の人にも言いたいです。1時間でもなにもかも忘れて何かできることが必要なんですね。

 最後になりますが、殺してほしいという患者さんがいらっしゃいます。ある時に私は殺してほしいと言われました。私が4人部屋のベッドのところへ行きますと、ころんと背を向けて反対を向くんです。それで私も反対側へ回ると、また反対へころんと転がるんですね。それを繰り返しながら自己紹介をしたのです。そうしたら「あなたそんなにお役に立ちたいの。そうしたらね、ファミリーキッチンから包丁持ってきてくださいよ。」と言われました。「包丁どうするんですか。」と伺うと「突き刺してください。」とおっしゃいました。「それはできません。」といいますと「ではけっこうです。」と言われるんですね。紹介状を持ってきて入院されたことはいいけれど、看護婦にも何にもさせてくれない。ある日私はひとつのアイデアを持ってその方を訪れました。その方の背中に向かって話しつづけました。だからといって話をするなとはおっしゃいませんでした。
「私はここの病院のすべての患者さんとお会いしているわけではありませんが、これまで重病の患者さんともお話して、その方の苦しみとか悲しみを心に留めてお聞きしているんです。それで今日参りましたのは、ひとつの決心をあなたに伝えたいから来ました。これから一番最初にあなたのことをお祈りすることを約束します。」といったんです。そうしたらですね、初めてころんとこちらを向かれて、「ありがとう。」とそれから約1時間から2時間かけてなぜそのような態度を取らなければならなかったかをお話しなさいました。

 キリスト教世界のことですが19世紀に有名な神父がおられました。その神父はこういう風に言っているんですね。「子供を愛するだけではたりない。愛を感じさせなくてはならない。」と。私はこれを「病める人には愛するだけでは足りない。」ととらえております。私たちも同じですね。日本人は言わなくてもわかっているといいますね。でもわかってても言われたいと思いませんか。伝えてもらわなかったら感じられない。私たちの言動で愛を感じさせなければならない。愛を感じさせる言動が必要なんだ。そして私たちは愛を感じさせられたときに私らしく生きられるんだと思います。
 ですから私たちはいろんな形でいろんな場所で生きていますけれども、愛を感じさせる癒しの人になりたいなと思います。
最後に、3.5人に一人が癌になる時代だといわれていますけれども、私たち自身も死、それから生というものを考えていきたいなと思います。

文:渡辺麻衣子
会報7号(1998年11月15日発行)より抜粋
定例会・ひまわりの会合同開催時のご講演の記録
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