大阪・生と死を考える会 分科会:大阪・ひまわりの会
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講演抄録や、これまでに発行した記念誌、会報より読み物を抜粋して掲載しております。
「夫の宿題」遠藤 順子さん(故遠藤周作氏夫人)
講演抄録
1999年10月24日
□主人の闘病記

 私は主人と共に41年間歩んできましたが、主人は結婚前から肺に空洞が3つも空いている人でして、結婚してから10回入院して8回手術をしています。ですから、病気の合間に仕事をしているような人でした。フランスの哲学者は「人生は絨毯を織っているようなもの」と例えています。手織りの絨毯は、織っている時は裏側から織るので表は見えず、織り終わってひっくり返してはじめて表の模様が分かります。これと同じように、私が主人の人生を振り返るということは主人の織っていた絨毯をひっくり返して、今、その模様を見ているということになります。主人はよく病気をしていましたので、「信仰」という縦の糸と「病気」という横の糸で一生懸命「人生」という模様を織っていたように思えます。
 本当によく病気をしまして、結核や糖尿病も患いました。結核で輸血をしていただいた時には、肝臓病の菌が入った血液が輸血されてしまい劇症肝炎になってしまいました。その後も肝臓には悩まされました。そして最後には糖尿病から腎臓病になりまして、3年半腎臓を患って亡くなりました。
 主人は病気に対して大変神経質な人でしたから、血液検査などを毎月欠かさずに行っていました。そして、腎臓に異常が認められる前の月にも、いつものように主治医の先生に検査をお願いし、その時は「肝臓の数値も糖尿病の数値も驚くほど良くなっています。グッドコントロールですね」とおっしゃっていただき、二人で手を握り合って大変喜んだものでした。ところが翌月の検査時に、腎臓の数値が非常に悪いという連絡を受け入院しました。そして透析をおこなわなければならなくなり、血液透析と腹膜還流の透析のどちらかに決めなければならず、腹膜透析は「昼間は自由に働いて、夜に透析すればいいだけですよ」との説明を受けて腹膜透析を行う事に決めました。
 
透析は夜の8時から12時間近くかかり、1本2000ccの薬液を温めて身体の中に一晩5回2時間ごとに出し入れしなければなりませんでした。これを毎晩行うというのはかなり大変な作業です。それでも初めのうちは良かったのですが、毎晩透析を行っていると腹膜も疲れてきて尿が出にくくなります。身体から出てくる排液の量が足りないと、寝ている主人を起こして軽い運動をさせたり、寝返りをうたせたりして出させました。おかげで本人も家族も眠れない日が続くようになり、私などは10分、20分といった細切れの睡眠が3時間取れればいいというような状態になりました。このような状態で入・退院を繰り返し、ちょうど退院している時に脳内出血を起こしてしまい、意識不明のまま集中治療室に入院する羽目になりました。
 なんとか回復して治療室は出たものの、耳はきこえるが話せない状態になってしまい、それまでジョークを言って笑わせていた人が話せないというのは家族にとって非常に淋しいことでした。ただし、こちらの話していることは理解してもらえるので、握っている主人の手で意思をやっと確認できるという沈黙の会話が1年続きました。

□死は終わりではない

 主人が話せなくなったのは非常に淋しい事だったのですが、時間が経って主人の手や足をさすって沈黙の会話を続けているうちに、この時間が私にとって大変かけがえのない時間になってきました。主人は大正の人間で、私も昭和初期の人間なのでお互いに本心を話し合うということはそれまでなかったのですが、最後の1年間はこの沈黙の会話で41年間一緒に暮らしていて初めて本心を話し合え、神様に非常に感謝するようになりました。
 そんな時に主人が食事中に誤飲をしてしまい、食べ物は何とか取り除かれたのですが、その食べ物についていた菌も一緒に肺に入ってしまい、「これから重篤な肺炎を起こして発熱されるでしょうが、遠藤さんは、かつて肺の手術をして肺が普通の人より3分の1くらい少ないから、多分その熱に耐えられないでしょう」と医師に告げられました。それでも私は、また奇跡が起こるだろうと信じていました。しかし先生は続けて「自発呼吸では足りないので人工呼吸器をつけました」と過去形で話されました。私はその時、人工呼吸器をつければ呼吸が楽になってよくなると思っていたのですが、次の日には先生から「奥様、もうよろしいでしょうか」と告げられ事態の深刻さにびっくりしてしまいました。さらに、「これ以上人工呼吸器をつけていても、本人は苦しいだけなので…」とおっしゃいました。主人は、若い頃から「数日間のための延命治療はいやだ」と話していましたので、私は「長いことありがとうございました。」と申し、人工呼吸器のスイッチを「パチン」と切ってもらいました。この時の「パチン」という音は本当に今でも耳に残っています。この時、時計を見ると夕方の6時半でした。そして先生から「まだ5分くらいは命がおありです。」と告げられました。
 動転していた私の気持ちは、その言葉で少し落ち着き、あらためて主人の顔をみました。主人を見ると、まだいろいろな管を付けていましたので、それらを外していただくように先生にお願いいたしました。それらが取れた時、主人の顔が歓喜の極みのようにぱっと晴れ、それまで手だけで沈黙の会話を行っていたのが、その顔や手や身体全体で主人は「死は終わりじゃない。俺は光の中に入ったんだ。安心しろ。俺はお袋にも兄貴にも会った。おまえにも必ずまた会えるから安心しろ」とメッセージを残してくれました。
 それまで主人が手術室に向かうたびに「これが主人の見納め」と思っていました。私は自分が死ぬことはさほど怖くなかったのですが、主人が死ぬということはとても怖く感じていました。しかし、管が取れて主人が晴れやかな顔になり思いがけないメッセージをもらった時、私はその場で癒されてしまいました。機械に取り囲まれた部屋の中で、主人はそのメッセージを何とか私に伝えようとしてくれていたのだと思います。「管を抜いてください」と先生にお願いしたことも、「死は終わりじゃない」というメッセージを残したいという主人の気持ちが、テレパシーとして伝わって先生にお願いできたのだと思います。

□主人が残してくれたもの

 私は熱心な仏教徒の家庭で育ちましたので、結婚してキリスト教になりました後も「復活」ということは理解できなかったのですが、主人の輝いている顔を見て「あぁ復活ってこういうことなのか」と感じました。神学的なことや専門的な解釈ではなく、「復活とは、その人を大切に思っている人の心の中で、死んだ瞬間から生きることなんだ」と思うようになりました。
 主人が生前、お年を召した方やお連れ合いを亡くされた方々のところで話していたのですが、キューブラー・ロスというアメリカの心理学者が臨死体験者の話をまとめた「死の瞬間」という本の中で、驚くべきことにその人たちが信じている宗教に関わりなく、輝くような光の中に入っていくなど同じような体験をしているそうなのです。
 私は主人に拙い看護しかできませんでしたが、今主人に対して何も心配する事がないのです。この心配する事がないというのは、主人が残してくれたとても大切なプレゼントだと思っています。「主人は今至福のときにいるのだ」と思えることは、これからの私の生きる支えです。
 「主人のことで心配することがない」とある人に伝えたところ、「それは奥さんの希望的観測だ」と笑われてしまい、逆に、今の日本は目に見えたり触ったりできるものしか価値が見つけられないのかと、びっくりしてしまいました。そしてこれだから「10年後のために」などということは切り捨てられるのだろうと思いました。戦争中ならば、遠く離れていても心と心が通い合っており、戦地に出ている子供に異変があった時には母親のところに心が伝わるなど魂の存在が信じられていました。しかし、戦後の教育で科学で説明できないことは否定されるようになってきました。
 私は主人から「死は終わりじゃない」というメッセージを受け取った時、同時に「大切な人を亡くして悲しんでいるのはおまえだけではない。しっかりしろ」とも言われたような気がしました。そして、この「死は終わりじゃない」ということを、家族を亡くされて悲嘆に暮れている方々に伝えることが夫の宿題だと思っています。
 人間は、常に生活の方に軸足がかかってしまいがちで、「人生とはどういうものか、死とはどういうものか」などということはなかなか考えられません。しかし魂の存在など非科学的なことと片付けずに、ちょっとは「人生とは…」「死は終わりじゃない」といったことを考えてほしいと思います。

□心あたたまる医療

 夫は医療問題にも取り組んでいました。主人が1982年に『患者からのささやかな願い』ということで活動していた頃、新聞に原稿を持ち込んで医療について掲載していただき、大きな反響がありました。当時は介護や医療などの問題は話されておらず、その反響からテレビでも扱っていただける事になりました。この時、『心あたたまる医療』というタイトルがつきました。病院では、すぐにできることは、すぐに改善していただけましたが、『心あたたまる医療』は、そこでストップしてしまいました。
 『心あたたまる医療』 は、これからターミナル医療を受ける人が少しでもいい環境で医療が受けられるようにというのが目的で、『夫の宿題』という本の中でも医療について書いたので「医療に関する宿題はもう終わりだな」と思っていました。しかし、この本を読まれた方から多くの投書をいただき、それをリストにして考えてみました。

□投書を見て

 いただいた投書を、患者サイドに問題がある場合、病院側に訴えればある程度改善されるであろう問題、病院の機構や医療行政に立ち入らないとだめと思える問題の3つに分けました。
 患者サイドの問題とは、結核など以前は命に関わる病気とされていたものが、手術や薬で簡単に治せるようになってきた為、病院に対して過信しすぎていることです。また、検査の機械類なども進歩しましたが、それを医学の進歩と思ってしまいがちな事です。現在、80歳まで生きる事が珍しいことでは、なくなりましたが、皆が80歳まで生きられるわけではありません。したがって50歳くらいを人生の折り返し地点とみなし、どのように最後の人生を迎えるか、家族で話し合われたほうがいいと思います。夫婦のあり方などは、元気なうちに話し合われたほうがいいでしょう。どちらかが倒れてからでは遅いと思います。
 次にお医者様へのお願いとして、患者の気持ちを考えて接して欲しいと思います。重篤な病気や大きな手術の説明なども簡単に行われ、家族はすぐに部屋から出されますが、繰り返し詳しく説明してあげてほしいと思います。簡単に病状を告げられて部屋から出てきたような人たちは、見ていて分かります。

また病院間のネットワークを利用して、地方の人ならばその地方で同程度の治療のできる病院なり先生を紹介してあげてもいいと思います。さらに、手術時には念書などを書きますが、執刀スタッフについての情報などは知らされません。そのような情報は家族としては、少しでも詳しく知りたいものです。
 最後に、死というものを患者・家族・医者の3つの視点から見てみると、患者は安らかに死にたいと思っているでしょうし、家族も患者の気持ちを考えて安らかに死なせてやりたいと思っていると思います。これに対し、医者の立場としてはできる限りのこと(治療)をしてあげたいと思われるでしょう。しかし、患者としては病院で死ぬのは怖いと感じている人が多く、最期を自宅でと希望する人が大勢いらっしゃるようです。医療設備に管理されたクランケとして死を迎えるのではなく、生活感のある家で、人として最後を迎えたいと希望します。そのような場合、主治医は患者が家に戻ったとしても地域の医師と連絡を取り、自分ができないにしても、レジデントやインターンの若い医師などを通じて最期までのケアをしてあげてほしいと思います。









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